水底の諦観

好きなものと自分の話

面倒くさい女

 

どうも、面倒くさい女です。

自分は人に対して淡白だとずっと思っていたし実際そうなのだが、特定の人に執着すると大変なことになるタイプのようで。

 

(今日は友人とランチだった。ありがたいことにお誕生日会をしてくれた。楽しすぎた。)

 

そこで、友人たちに「かっこいい推しの動画があるから見てくれ」と見せながら、「ただし同担は認めたくないから好きにならないでくれ」というクソみたいなことを言う女。ありえん面倒くささである。大爆笑してくれた友人たちに感謝感激。大好き。

 

ひとり、私と男の趣味が似ている友人がいる。わかりみしかない。だからこそ一緒に推しのイベントやら舞台やらに行きたくはない。せっかくの友情に亀裂が入るどころか結果的に海溝ができかねない。今の同担拒否状態だと確実にできる。

そんなわけで、落ち着いてきたら是非布教したいところである。そんな日が来るのかは知らない。

 

同担に嫉妬をするというのは、大変なことだ。お芝居やイベントが成功するように応援しながら、同じように応援しているひとたちを拒否する。

意味がわからない。矛盾の塊である。矛盾を突き詰めたくなる理系の業。結果として負の堂々巡り。散々だ。

 

そんな風に1ヶ月ほど過ごしてきて、人間というのは大変だなあと、生まれた瞬間から一応人間であるはずの私は思った。

一部の友人から、感情がないとか人間じゃないとかサイコパスだとか散々に評されてきた私が、躁鬱みたいなクソでか感情を持ってしまった。しんどい。でも、なんとなく、人のことを少し解って許容できるようになった、気がしている。

 

とりあえずその友人には、好きだが特に推してはいない役者さんを適当にオススメした。