水底の諦観

好きなものと自分の話

友人たちよありがとう

 

お盆、実家に帰省した。現在進行形で実家にいる。

 

地元の友人たちと遊んで、やはりというか、私の推しの話をした。(むしろ相手から聞いてきた)

小学校から仲の良い友人、高校で出会った友人、別の友人経由で知り合った趣味の合う友人。

全員が「めっちゃ面白いわ」と爆笑しながら話を聞いてくれた。ありがたい。笑ってくれることで私も救われた気がしている。

 

今まで私は、自分が好きな服を着ていた。体型やら気分やらブームやらを鑑みて、自分が着たい服を着ていた。普通に身だしなみを整えつつ、自分の好きなオシャレを楽しんでいた。

それが、先日。人から見て自分に似合う服を買ってみた。具体的に言うと、絵描きの友人に全身コーデをしてもらった。

(しかもトップスを誕プレとして買ってくれた。めっっっちゃありがとう。好きだ)

推しのファンは若い子も多いので、年相応or少し若く、できれば可愛く見える服を選んでもらった。

普段も通勤服で使い回しできそうで、綺麗なお姉さんに見える感じのトップスとスカートの組み合わせを選んでくれた。そこにカジュアルダウンできる、ジャケットとバッグを合わせて。自分だったら見ても買うまでには至らなそうだけど、私に似合う可愛い服。大感謝…………好き………めっちゃ着るわ。

 

私のことを、絵描きの友人は「推し」だと言ってくれる。

自分で言うなと言う感じだが、私はなぜか昔から同性の友人に懐かれる傾向にある。別にアイドルでもなんでもない一般人だが、人に推されるということを、なぜか身を以て知っている。

だから、好意が悪意よりも時に恐ろしいことを知っている。

正直ストーカーじみたことをしてきた子もいた。しかも時期は別だが数人いた。どこまでもついてくる、寄ってくる子が怖くてストレスで大変なことになったこともある。

今仲良くしている友人達はそんなことはせず(当たり前)、普通に仲良くしてくれている。

 

ここ数日で遊んだ友人たちは、やたらと私のことを褒めてくれるタイプの友人たちで、正直照れてどうしていいかわかんなくなったけど、嬉しかった。ありがとう。心が潤った。これで明日からも推しを推していける。

 

私は人に何かを伝えるのが下手くそである。友人たちに好意をうまく伝えられている自信がない。どうにかこうにか、これから返していきたいと思う。

 

とりあえず今日は、絵描きの友人とまた会う機会があったので、数日前に選んでもらった服を着て行った。喜んでくれて、似合うと言ってくれたので良かった。

 

友人談「推しに自分の好きな服をプレゼントして、それを推しが着てくれるシステム最高」

私「……それは最高だな!?」

 

次回、推しにプレゼントを送ろうとしている話。に続く。たぶん。

 

 

スペシャルサンクス

推しと出会った某舞台の話を、別日に見に行っていた友人。私はひとりで行ったので、今回語り合えてとても楽しかった……。やっっっと、あのしんどい物語を少し消化できた気がする。ありがたや……。